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白幡天神社

(しらはた てんじんしゃ)

白幡天神社は、千葉県市川市菅野に位置する歴史ある神社です。この神社は地域の人々から親しまれ、長い歴史とともに伝統的な行事が受け継がれています。

神社の歴史

白幡天神社の起源は1180年(治承4年)、源頼朝が安房国で挙兵した際、菅野の地に白旗を掲げたことに由来します。この出来事から神社は「白幡宮」と名付けられました。その後、1584年(天正12年)に正親町天皇の代に本殿が再建された記録があります。

1871年(明治4年)には、菅原道真が合祀され、社名に「天」の字が加えられ、現在の「白幡天神社」となりました。現在の本殿は1880年(明治13年)に造営されており、拝殿と幣殿は1961年(昭和36年)に建てられたものです。

太田道灌が社殿を造営したという説も存在していますが、詳細な記録は残されていません。

祭神

白幡天神社の祭神は、以下の二柱です。

境内の構造と社

本殿・拝殿・幣殿

白幡天神社の本殿は、1880年に造営されたもので、今日までその姿を残しています。また、拝殿と幣殿は1961年に新たに建てられました。これらの建物は、荘厳な佇まいを見せ、参拝者に神聖な空気を感じさせます。

境内社

白幡天神社の境内には、以下の5つの社が祀られています。

文化財と歴史的な価値

白幡天神社は多くの文化財を有しており、その中でも特に注目されるのが、柴田是真による画連句額です。この作品は2006年に千葉県指定文化財に指定され、芸術的価値が高く評価されています。

勝海舟による社額

拝殿に掲げられている社額は、幕末の偉人勝海舟が揮毫したものです。勝海舟の力強い筆遣いが見られるこの社額は、神社の歴史と共に重要な文化財として保存されています。

文学碑

白幡天神社の境内には、著名な作家永井荷風と幸田露伴の文学碑があります。両者ともに晩年、この神社の近くに住み、作品の中で白幡天神社を描写しています。永井荷風の文学碑には『断腸亭日乗』からの一節が引用され、幸田露伴の碑には娘である幸田文の『菅野の記』に白幡天神社の描写が示されています。特に幸田露伴は、この神社で葬儀が執り行われたことでも知られています。

保存樹木

白幡天神社の境内には、市川市の保存樹木に指定されている椋の木があります。この木は幹回り3メートル、樹高10メートルに達し、地域の自然遺産として大切に保護されています。

年中行事

白幡天神社では、年間を通じて多くの伝統的な行事が行われています。以下は、主な行事の一覧です。

主な年間行事

湯の花祭り

湯の花祭りは400年以上の伝統を誇る祭りで、2月20日に行われます。この祭りでは、宮司が大釜で熱湯を沸かし、熊笹でかき回してそのしずくを参拝者に振りかけ、1年の無病息災を祈ります。この行為は「探湯(くがたち)」という古代の占いに由来し、やけどをした者には罪があるとされる伝統的な占いの儀式です。

菖蒲葺き

5月初旬に行われる「菖蒲葺き」は、端午の節句に関連する行事で、ショウブとヨモギを束ねて家の屋根に置き、邪気を払う習慣です。かつては庶民の間で広く行われていた風習ですが、近年では途絶えていました。2011年からは次世代へ伝えるために、地元の子どもたちを招いて行事が復活し、神社の門の屋根にショウブを載せる伝統が続いています。

交通アクセス

白幡天神社へのアクセスは便利で、JR本八幡駅から徒歩10分、京成八幡駅から徒歩7分、京成電鉄菅野駅から徒歩5分の距離にあります。交通の便が良く、多くの参拝者が訪れやすい場所です。

まとめ

白幡天神社は、源頼朝の挙兵にまつわる歴史的な背景を持ち、地域に根ざした神社です。数多くの文化財や伝統行事が受け継がれており、特に湯の花祭りや菖蒲葺きなど、古来の風習を現代に伝える重要な役割を果たしています。訪れる人々は、静かで神聖な空間の中で、歴史の息吹と自然の調和を感じることができるでしょう。

Information

名称
白幡天神社
(しらはた てんじんしゃ)

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