歴史的背景
上総国分寺は、聖武天皇が全国の平安と人々の幸せを祈って設立した「国分寺建立の詔」に基づき創建されました。奈良時代の日本全国の国府近くに国分寺が設置されましたが、上総国分寺もそのひとつであり、現在の上総国分寺はその跡地に重複して建てられています。
現在の上総国分寺
上総国分寺は、養老川の北岸の台地上に位置しており、近隣には国分尼寺跡も存在します。周囲には古墳や遺跡、瓦の窯跡などが多く見られ、古代の遺構を色濃く残しています。現在の上総国分寺の位置は、元の国分寺の跡地と重なり、その法灯を受け継いでいます。
境内と建造物
薬師堂
薬師堂は、江戸時代の正徳6年(1716年)に建立され、内部の厨子には本尊である薬師如来が安置されています。この堂宇は市原市の指定文化財に指定され、地元の歴史を伝える貴重な建築物です。
仁王門
仁王門は江戸時代中頃に建てられ、市原市指定文化財として保護されています。門の内側には、金剛力士像が安置されています。これらの像は、阿形(あぎょう)が南北朝時代、吽形(うんぎょう)は江戸時代に作られたもので、それぞれ市原市の文化財に指定されています。
将門塔
境内には「将門塔」と呼ばれる宝篋印塔(ほうきょういんとう)もあります。この塔は応安5年(1372年)に建立されたもので、市原市指定文化財に指定されています。これもまた、地域の歴史を伝える重要な遺構です。
上総国分寺跡
史跡としての国分寺跡
上総国分寺跡は、現在の上総国分寺の境内と重なり、国の史跡として指定されています。寺域は四角形ではなく、周囲に谷や古墳があるため独特な形状をしています。面積は約139,000平方メートルに及び、伽藍(がらん)は大官大寺式(だいかんだいじしき)の配置がなされています。
伽藍の配置
旧国分寺の伽藍は、2期にわたる造営が確認されています。南北に478メートル、東西に254メートルから345メートルの範囲で、中央には主要な建物が配置されていたと考えられています。千葉県立中央博物館には上総国分寺の復元模型が、市原市役所には塔の復元模型が展示されており、当時の建造物の姿を偲ぶことができます。
主要な伽藍跡
上総国分寺跡の主要な伽藍としては、金堂(本尊を安置する建物)、七重塔、塔心礎、西門、神門瓦窯跡などがあります。これらの遺跡は現在も残っており、訪れる人々に歴史の息吹を感じさせます。
文化財
国の指定文化財
上総国分寺跡は、昭和4年(1929年)に国の史跡として指定され、昭和46年(1971年)と昭和54年(1979年)には指定範囲が拡大されました。こうして歴史的価値が認められ、保護されています。
市原市指定文化財
- 薬師堂: 正徳6年(1716年)の建立で、附属する厨子と共に市原市指定文化財です。
- 将門塔: 応安5年(1372年)に建立された宝篋印塔で、市原市指定文化財です。
- 金剛力士像(阿形と吽形): 阿形は南北朝時代、吽形は江戸時代に制作されたもので、市原市指定文化財に指定されています。
アクセス情報
所在地
上総国分寺は千葉県市原市惣社1丁目7-23に位置しています。
交通アクセス
- 鉄道: 小湊鉄道線「上総村上駅」より徒歩約15分、JR内房線「五井駅」より徒歩約35分。
周辺の観光スポット
- 上総国分尼寺跡: 上総国分寺の北東に位置し、一部が復元され展示館もあります。
- 戸隠神社: 上総国の総社とされ、地域の信仰の中心となっている神社です。
- 神門5号墳: 千葉県指定史跡に指定されている古墳です。
- 稲荷台1号墳: 「王賜」銘鉄剣が出土したことで知られる古墳です。