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亥鼻城

(いのはなじょう)

亥鼻城は千葉県千葉市中央区に位置する、かつての日本の平山城です。通称「千葉城」としても知られ、現在その周辺は「亥鼻公園」として整備されています。この城は長い歴史を持ち、千葉氏一族が居を構えた場所としても有名です。城跡は市の文化財に指定されており、歴史的な土塁や堀切などが今も残り、多くの観光客が訪れます。

千葉常胤騎馬像と千葉市立郷土博物館

亥鼻城が位置する「猪鼻山」は、北側を都川に、そして西側を断崖に囲まれた天険の地に築かれています。鎌倉幕府を開いた源頼朝の挙兵に際して、いち早く参陣した千葉氏の重鎮、千葉常胤の父・千葉常重が、平安時代の1126年にこの地に拠点を構えました。ここから、千葉氏が約330年もの間、両総に覇を唱える拠点として発展していきました。

千葉市立郷土博物館

亥鼻公園内には「千葉市立郷土博物館」が建てられており、その建物は亥鼻城の模擬天守として観光客を楽しませています。千葉市立郷土博物館では、千葉氏や亥鼻城の歴史にまつわる資料が展示されており、観光客が亥鼻城の歴史に触れることができます。

亥鼻城の歴史的背景

平安時代からの長い歴史

千葉常重がこの地に居を構えて以来、千葉氏一族は鎌倉時代を通じてこの城を拠点としてきました。しかし、現在亥鼻城跡に残されている土塁や堀の特徴から、実際には戦国時代に築かれたものとされています。特に、1516年には三上氏による攻撃があり、激しい戦いが繰り広げられた歴史も持っています。

亥鼻城の歴史

中世の亥鼻城

1335年(建武2年)の内紛では、千葉胤貞が「千葉城」や「千葉楯」を攻撃したことが『相馬文書』に記されています。千葉氏とその信仰に関する文献『千学集抄』では、千葉氏の館が「堀内」にあったと記され、近年では低地にあった千葉館の存在が有力視されています。

亥鼻城跡からは鎌倉時代の蔵骨器が発掘される一方、日常的な出土物が少ないため、亥鼻には千葉氏の墓地が存在し、亥鼻城のような台地上の城郭が本格的に築かれたのは15世紀以降であり、それ以前の千葉氏の館は低地の楯をもとに戦闘時に城郭化されたと考えられています。

江戸時代から観光名所としての発展

江戸時代の『成田名所図会』には千葉常胤に関する一節があり、「千葉氏古城址の図」として亥鼻山が描かれています。亥鼻城は江戸時代に「猪鼻山の望月」として千葉八景のひとつに選ばれるなど、古くから名所・旧跡として親しまれてきました。

1909年(明治42年)以降は公園として開放され、1959年(昭和34年)に歴史公園「亥鼻公園」として整備され、地域の人々に親しまれています。

1926年(昭和元年)には千葉開府800年記念碑が、1976年(昭和51年)には850年記念碑が亥鼻城跡に建立され、近現代においてもその歴史的価値が再評価されています。

亥鼻城の構造と特徴

突端の構造と「亥鼻」の由来

亥鼻城の名称は、城の突端部が猪の鼻に似ているか、亥の方角を向いていることに由来しています。この突端部には神明社や亥鼻城跡の碑があり、物見台の跡と伝えられています。城跡には土塁や「お茶の水」と呼ばれる井戸跡など、歴史を物語る遺構が点在しています。

亥鼻公園:歴史と自然が織りなす観光スポット

歴史公園としての整備

現在、亥鼻城跡の一帯は「亥鼻公園」として整備されており、訪れる観光客は歴史を感じながら散策することができます。亥鼻公園の中腹には、模擬天守である千葉市立郷土博物館があり、千葉氏や亥鼻城に関する歴史資料が展示されています。また、公園内には茶室や庭園「いのはな亭」もあり、静かなひとときを楽しむことができます。

千葉常胤像と二の郭跡

亥鼻城跡には、千葉常胤の銅像が建てられており、その背後には「二の郭跡」が広がっています。ここは、千葉常胤の時代に千葉氏の拠点として栄えた場所であり、今も歴史の息吹を感じられるスポットです。

神明社と物見台跡

亥鼻城跡の突端には、神明社と呼ばれる小さな社があり、かつての物見台跡と伝えられています。物見台からは、城全体を見渡すことができ、戦略的に重要な場所であったことがうかがえます。

亥鼻城の構造とその魅力

「亥鼻城」の由来

亥鼻城はその突端が亥の鼻に似ている、あるいは北西(亥の方角)を向いていることから名付けられたとされています。この特徴的な地形を利用して築かれたため、戦略的な防衛拠点としても利用されました。

お茶の水井戸と池田坂

城跡の北側には「お茶の水」と呼ばれる井戸跡があり、千葉常胤がここで水を汲んで茶をたて、源頼朝に献じたという伝説が残されています。また、城跡東側にはかつて「池田坂」と呼ばれる坂があり、城の裏門にあたると伝えられています。

市の文化財としての保護

亥鼻城跡は千葉市によって市指定文化財(史跡)として保護されています。文化財保護の一環として、毎年整備が行われており、観光客や地元住民にとって歴史に触れる機会を提供しています。

千葉市と亥鼻城の歴史的意義

千葉氏の繁栄と衰退

千葉氏は、桓武平氏の子孫であり、千葉常胤の代に千葉氏を名乗りました。源頼朝の鎌倉幕府樹立に大きく貢献した千葉常胤は、後に房総平氏の総領となり、千葉氏の最盛期を築きました。しかし、室町時代に入ると、関東地方での争乱が千葉氏にも影響し、内紛が起こるようになりました。その後、1455年に千葉氏の宗家である胤直が一族の千葉康胤(馬加康胤)と原胤房に急襲され、宗家の地位は康胤に引き継がれます。

江戸時代以降の観光名所としての発展

江戸時代以降、亥鼻城跡は観光名所としても注目されるようになりました。1861年には千葉八景の一つとして「猪鼻山の望月」が選ばれ、城跡は多くの人々に親しまれました。1959年には亥鼻公園として整備され、現在も千葉市民や観光客に愛されています。

観光客への亥鼻城のおすすめポイント

歴史を感じる散策路

亥鼻城跡周辺には、歴史的な土塁や堀切などが今も残されており、城跡を散策しながら歴史に触れることができます。特に「神明社」や「二の郭跡」といったスポットでは、かつての千葉氏の栄華を感じることができます。

千葉市立郷土博物館での歴史体験

亥鼻公園内にある千葉市立郷土博物館では、千葉氏や亥鼻城に関する資料が展示され、訪れる観光客は千葉市の歴史について学ぶことができます。また、茶室「いのはな亭」もあり、日本庭園の美しさとともに茶道体験も楽し%E

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名称
亥鼻城
(いのはなじょう)

千葉市・浦安・幕張

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