祭神
菊田神社の主祭神は大己貴大神(おおなむちのおおかみ)です。さらに、流刑となりこの地にたどり着いた藤原時平と、その子孫である藤原師経も合祀されています。これは、藤原一族の歴史と菊田神社の縁を示す重要な要素です。
由緒
菊田神社の創建は、弘仁年間(810年~824年)にさかのぼると伝えられています。当初、この地域は入り江であり、神社はその中の島に鎮座していました。時の経過とともに入り江は埋め立てられ、周囲は水田地帯へと変わっていきました。「久々田」(くくだ)という地名は、この地に生えていた「クゴ」という草に由来すると言われています。
藤原師経との縁
藤原師経は、治承5年(1181年)に流罪となり下総国へ送られました。彼の漂着地が現在の菊田神社がある場所とされており、師経はこの地で大己貴命を祀り、さらに祖先である藤原時平も一緒に祀りました。この神社の境内が船の形をしているのは、師経の一族がこの地に船で到着したことを記念しているからです。また、周囲には師経にまつわるさまざまな伝説が残されています。
地域との関わり
菊田神社は、地元住民の信仰の中心として長い歴史を持っています。宝暦年間(1751年~1763年)には「菊田大明神」と改称され、大正元年(1912年)には近隣の6社を合祀。昭和53年(1978年)には千葉県神社庁より「顕彰規範神社」に指定されました。
境内の見どころ
御池
境内にある御池は、神社の歴史に深く関わる場所です。この池の水源は、近くの二宮神社から流れ込んでいると言われています。神話や伝説によれば、師経一族はこの池の周辺にある入り江に上陸したとされ、彼らが住んだ場所として神聖視されています。
アイーン狛犬
菊田神社の参道には、ユニークな「アイーン狛犬」と呼ばれる狛犬がいます。これは、吽形の狛犬が独特な表情をしていることからその名がつきました。参拝者や観光客にとっては、この狛犬が神社訪問時の一つの見どころとなっています。
社殿の歴史
菊田神社の社殿は、長い歴史の中で何度も改修・造営されてきました。以下にその主な改築時期を示します。
- 康元元年(1256年) - 社殿が木造に改築
- 慶長2年(1597年)5月 - 改修
- 宝暦3年(1753年)9月 - 拝殿造営
- 昭和48年(1973年)9月 - 本殿の屋根を銅板瓦葺に改修
- 平成7年(1995年)9月 - 神輿庫改築、神輿新調
摂末社
菊田神社の境内には、複数の摂末社が祀られています。主な摂末社は以下の通りです。
- 子安神社
- 大杉神社(あんば様)
- 稲荷社
- 御嶽大神
- 三峯神社
- 琴平神社
祭事
菊田神社では年間を通じて様々な祭事が行われています。中でも特に有名なものを以下にご紹介します。
あんば様
毎年3月15日に近い日曜日に行われるあんば様は、地域に根付いた民間信仰のお祭りです。この行事は、疫病を払うために始まり、現在でも「悪魔を払ってよーいやせ」という掛け声とともに神輿が地区内を巡ります。この祭りの起源は、明治期に天然痘が流行した際に、大杉神社のご神札を持ち帰ったことが発端とされています。
下総三山の七年祭り
下総三山の七年祭りは、船橋市にある二宮神社を中心とし、習志野市を含む9つの神社が参加する大規模な祭りです。菊田神社もこの祭りに参加しており、地域の伝統文化を守り続けています。
交通アクセス
菊田神社へのアクセスは、京成電鉄京成線京成津田沼駅から徒歩5分、またはJR総武線津田沼駅から徒歩15分です。両駅からのアクセスが良好なため、地元の方だけでなく観光客にも訪れやすい立地です。
関連スポット
神之台(かんのだい)・火の口
神之台は、藤原師経が荒天に遭遇してこの地に流れ着いた際、見失った姉の船に合図の烽火を上げたと伝えられる場所です。七年祭りでは、二宮神社の神輿がこの場所に立ち寄り、神事が行われるのが恒例です。
まとめ
菊田神社は、その歴史的な背景や地域との深い関わりを持つ神社であり、長い年月を経て多くの人々に愛されてきました。特に、藤原師経にまつわる伝説や、地域独特の民間信仰であるあんば様など、訪れる人々にとっては歴史や伝統文化を感じることができる場所です。習志野市を訪れた際には、ぜひ一度足を運んでみてはいかがでしょうか。