栄福寺の歴史
栄福寺の歴史は長く、寺の伝承によると、創建は鎌倉時代以前に遡るとされています。
栄福寺の起源
寺の伝えによれば、1126年に千葉常重が千葉城に館を構えた後、1130年に家臣である坂尾五郎治(さんごのごろうじ)が旧長峰村三角山に妙見を奉祀しました。翌年の1131年には、北斗山金剛授寺と大宮権現(現・大宮神社)が建立されました。
坂尾五郎治については、11世紀に平常長に仕えた人物であったとする資料も存在し、正確な年代については伝承上の疑問も残っています。
江戸時代以降の発展
1625年には、栄福寺は上野寛永寺の末寺となり、「如意山養福寺」と改称されました。その後、1650年に「坂尾山栄福寺」に再度改称されています。江戸時代には、島原の乱で戦死した板倉重昌の次男・板倉重直が一時的にこの寺院の敷地を住居としたとの伝承もあります。
栄福寺の境内と見どころ
坂尾の桜
栄福寺の山門をくぐると、まず目に入るのは本堂です。その右手には妙見地蔵堂があり、「坂尾の桜」として名高い枝垂れ桜が咲き誇ります。この桜は、坂尾五郎治の妻である高枝が病の治癒に感謝し、自ら植樹したという伝説が残っています。
この枝垂れ桜は「姫桜」とも呼ばれ、春には約3000人の観光客が訪れる桜の名所となっています。柔らかなピンクの花が、寺院の静かな佇まいと調和し、美しい景観を作り出しています。
中世の遺構
栄福寺の境内は、中世に築かれた館跡の一部とされています。周囲には高さ1メートルほどの土塁や空堀の跡が残り、城山城との関連も示唆されています。また、近隣には「宿」という地名が残っており、この地域がかつて城下集落として栄えていたことを示しています。
栄福寺の山門と本堂
山門: 栄福寺の入口には、歴史を感じさせる山門があります。荘厳な佇まいが参拝者を出迎え、境内への期待を高めてくれます。
本堂: 境内の中央に位置する本堂は、参拝の中心であり、地元の人々に大切にされています。
土塁: 境内には、かつての館跡を示す土塁が一部残されています。中世の面影を感じられるスポットとして、歴史好きにも人気です。
栄福寺の文化財
栄福寺には、千葉県文化財に指定されている貴重な文化財があります。
金銅透彫六角釣燈籠
「金銅透彫六角釣燈籠」は、繊細な透かし彫りの技法が施された美しい釣燈籠で、千葉県の重要文化財として指定されています。
紙本著色千葉妙見大縁起絵巻
「紙本著色千葉妙見大縁起絵巻」は、千葉妙見信仰を描いた絵巻で、千葉市の歴史や文化を理解するうえで重要な資料となっています。これらの文化財は千葉市立郷土博物館で保管されていますが、栄福寺の歴史を物語る貴重な遺産です。
栄福寺へのアクセス情報
栄福寺は千葉駅からアクセス可能です。千葉中央バスの「千城局経由大宮市民の森行き」に乗車し、「坂尾」バス停で下車すると徒歩ですぐです。ただし、寺院の駐車場は関係者専用となっているため、公共交通機関の利用が推奨されます。