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日西墨三国交通発祥記念之碑(メキシコ記念公園)

(にっせいぼくさんごく こうつう はっしょう きねんのひ)

千葉県夷隅郡御宿町に位置する「日西墨三国交通発祥記念之碑」は、日本、スペイン、メキシコの3国間の歴史的なつながりを記念するオベリスク型の記念碑です。通称「メキシコ記念塔」として親しまれており、鉄筋コンクリート製で高さ17メートルに及びます。

場所と特徴

記念碑は標高約50メートルの丘の上にあり、網代湾や御宿市街を一望できます。最寄りのJR御宿駅から徒歩約30分の距離にあります。記念碑が建つ場所は、実際の漂着地点である太平洋沿岸から約1キロメートル離れた位置にあります。

周囲の整備

記念碑の周辺は「メキシコ記念公園」として整備され、地元の観光名所となっています。1983年に「房総の魅力500選」、2006年に「ちば眺望100景」に選ばれ、関東ふれあいの道のコースの一部としても親しまれています。

記念碑の背景

サン・フランシスコ号の遭難

1609年、スペインの前フィリピン臨時総督ドン・ロドリゴ・デ・ビベロが乗船した「サン・フランシスコ号」が、太平洋横断中に暴風雨で遭難。岩和田の海岸で座礁し、船は沈没しました。乗組員373名のうち56名が命を落としましたが、残り317名は地元住民の救助によって命を取り留めました。

この出来事をきっかけに、日本とスペイン、メキシコ(当時はスペイン領ヌエバ・エスパーニャ)の3国間の直接的な交流が始まりました。

ロドリゴと徳川家康の会見

ロドリゴたちは江戸に向かい、徳川秀忠と家康に面会。スペインとの貿易や交流が議題となり、日本とスペインの友好協定が結ばれる運びとなりました。しかし、その後の宗教政策や国際関係の影響により、交流は短期間で終了しました。

記念碑の建立

設立の経緯

1924年、地元出身の記者・藤平権一郎が、岩和田の歴史的重要性を後世に伝えるため、記念碑の建設を提案しました。1926年に起工式が行われ、1928年10月1日に落成。記念碑のデザインは東京美術学校教授の金沢庸治が手掛けました。

戦争中の試練

第二次世界大戦中、記念碑は敵艦の目標になるとされ、一時撤去の危機に直面しましたが、地元の強い反対により黒く塗りつぶすことで保存されました。戦争の影響で表面の大理石が剥がれ落ちたため、戦後の改修工事が必要となりました。

改修工事

1956年、改修委員会が結成され、1958年に改修工事が実施されました。この際、大理石仕上げから白セメント仕上げに変更されました。総工費は約103万円で、国内外の支援によって賄われました。

アカプルコとの交流

姉妹都市提携

1975年以降、御宿町とアカプルコ市との交流が活発化し、1978年には正式に姉妹都市協定が結ばれました。これに伴い、記念碑周辺に「メキシコ記念公園」が整備されました。

400周年記念行事

2009年、漂着400周年を記念する式典が御宿町で開催され、皇太子やスペイン、メキシコの関係者が出席しました。この際、スペイン政府から御宿町民に勲章が授与され、メキシコ政府からは彫像が寄贈されました。

まとめ

「日西墨三国交通発祥記念之碑」は、異文化交流の歴史を物語る重要な記念碑です。その存在は、国際的なつながりと友好の象徴として、今も多くの人々に感動を与えています。

Information

名称
日西墨三国交通発祥記念之碑(メキシコ記念公園)
(にっせいぼくさんごく こうつう はっしょう きねんのひ)

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