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東金城(鴇ケ根城)

(とうがねじょう ときがねじょう)

東金城は千葉県東金市東金に位置する城跡であり、東金市の指定史跡です。別名は「鴇ケ根城」とも呼ばれ、戦国時代には酒井定隆が築城したと伝えられています。

築城の歴史

東金城は、1521年(大永元年)に酒井定隆が築城したとされていますが、千葉氏が築いた鴇ケ峯城が起源であるとする説もあります。しかし、酒井氏による築城が有力視されています。城は主に上総酒井氏の居城として利用されていましたが、1590年(天正18年)、豊臣秀吉による小田原攻めの際、酒井氏が北条氏方についたため、浅野長政に接収されました。

徳川家康と東金城

1590年の廃城後、徳川家康が関東へ移封された後、1613年(慶長18年)に東金は徳川家康の鷹狩場(鷹狩の場)として整備され、宿泊施設として東金御殿が建設されました。しかし、1630年(寛永7年)を最後に鷹狩は行われなくなり、1671年(寛文11年)には東金御殿も取り壊されました。

現在の東金城跡

現在、東金御殿跡には千葉県立東金高等学校が建っており、登城口はこの高校と本漸寺の間にあります。東金城の主郭(城の中心部分)は標高74メートルに位置し、東の3郭、西の2郭などが存在しています。その広さは約1000平方メートルに及びます。

八鶴湖の概要

八鶴湖(はっかくこ、はっかっこ)は、千葉県東金市にある人造湖です。徳川家康が東金御殿を築造した際に、その眺望をよくするために造られた「御殿池」がその前身です。八鶴湖は、別名「小西湖」の美称でも知られています。

八鶴湖の特徴と周辺の景観

八鶴湖の周囲には約300本の桜が植えられ、春には「東金桜まつり」が開催され、多くの観光客が訪れます。また、八鶴亭(旧八鶴館)は、明治時代創業の老舗旅館であり、北原白秋や伊藤左千夫などの文人墨客が訪れたことで知られています。この旅館の建物は一部が国の登録有形文化財に指定されています。

湖周辺の自然と花々

八鶴湖の面積は約3.4ヘクタールで、周囲は約800メートルです。湖畔には桜をはじめ、ツツジやハナショウブ、アジサイなど四季折々の花が咲き誇り、季節ごとに異なる美しい景観が楽しめます。桜の見頃である4月上旬には、湖周辺が花見客でにぎわい、夜桜のライトアップも行われます。

八鶴湖の歴史と由来

八鶴湖は1614年(慶長19年)に徳川家康が土井利勝に命じて造成されたとされ、元々は「谷池」や「御殿池」と呼ばれていました。幕末の詩人である遠山雲如によって「八鶴」の字が与えられ、後に現在の「八鶴湖」という名前で親しまれるようになりました。

八鶴湖のイベント

東金桜まつり

桜の季節には「東金桜まつり」が開催され、花火大会や桜花茶会、撮影会など様々なイベントが行われます。この期間中、湖畔には大勢の花見客が集まり、夜桜の幻想的な光景も楽しめます。また、八鶴湖は8月下旬から9月上旬には「八鶴湖ボートカップ」が開催され、ボート競技も楽しめます。

山王台公園と夜景

八鶴湖の北東側の高台にある山王台公園は、昼間には九十九里浜までの眺望が楽しめる絶景スポットです。特に夜景が美しく、正月には初日の出スポットとしても多くの人が訪れます。

八鶴亭と文化財

湖畔にある八鶴亭(旧八鶴館)は、明治時代から続く老舗の旅館であり、北原白秋や伊藤左千夫といった著名な文人も訪れました。現在も大正から昭和初期にかけて建てられた建物が残っており、本館、新館、宿泊館、浴室棟、ビリヤード棟の5棟が国の登録有形文化財として指定されています。

東金御殿の跡地と学校

東金御殿の跡地には千葉県立東金高等学校があり、この学校は100年以上の歴史を持つ伝統校です。女子高等学校としても長い歴史を誇り、地元では重要な教育機関となっています。

東金城と八鶴湖へのアクセス

公共交通機関でのアクセス

JR東日本の東金駅から徒歩で約10分の距離に位置しています。また、ちばフラワーバスや高速バスも運行しており、東京駅や千葉駅からもアクセス可能です。

車でのアクセス

圏央道や千葉東金道路の東金ICから国道126号線を経由して約5㎞です。現地には無料の駐車場も完備されています。

まとめ

東金城と八鶴湖は、千葉県東金市における歴史と自然が交錯する観光スポットです。戦国時代から続く城跡の歴史、徳川家康によって整備された御殿池、そして四季折々の美しい風景を楽しめる八鶴湖が訪れる人々に感動を与えます。春の桜まつりやボート大会など、イベントも豊富で、歴史好きから自然を楽しみたい人まで幅広く楽しめるスポットです。東金市を訪れた際には、ぜひ立ち寄ってみてください。

Information

名称
東金城(鴇ケ根城)
(とうがねじょう ときがねじょう)

九十九里・茂原

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