広済寺の縁起
石屋和尚の見た夢と寺の起源
鎌倉時代初期、薩摩出身の僧・石屋和尚が諸国巡行の途中、虫生の里で辻堂を仮の宿とした際に不思議な夢を見ました。17歳で亡くなった「妙西信女」という娘が地獄で鬼に攻めたてられる様子を目の当たりにしたのです。
翌日、娘の父母である領主椎名安芸守夫妻にこの夢を伝えると、夫妻は自らの悪行を悔い、娘の成仏を願うため寺院の建立を決意しました。この寺は建久7年(1196年)に完成し、娘の法名「妙西」を「広西」と改め、「慈士山地蔵院広済寺」と名付けられました。
鬼面伝説
寺の建立後、虫生の里で雷雨が起こり、寺の庭に青鬼や黒鬼、赤鬼、白鬼などの面が天から降ってきたと伝えられています。そのうち青鬼と白鬼の面は失われましたが、他の面は寺内に保管されています。
さらに、鎌倉在住の仏師・運慶、湛慶、安阿弥の3人が同じ夢を見て虫生を訪れ、地獄と菩薩の救いを表現した面を制作、寺に献納しました。これが後の「鬼来迎」につながるといわれています。
広済寺の文化財
鬼来迎の由来と概要
広済寺に伝わる仏教劇「鬼来迎(きらいごう)」は、地獄の様相と菩薩の救いを描いた日本唯一の民俗芸能です。この劇は1976年(昭和51年)に重要無形民俗文化財に指定されました。
「鬼来迎」は地獄の裁きと菩薩の慈悲を表現した全七段の構成で、現在は「大序」「賽の河原」「釜入れ」「死出の山」の四段が演じられています。この劇を通じて、因果応報や衆生救済の教えが伝えられます。
鬼来迎面
広済寺には鬼来迎で使用される13面の仮面が伝わっており、これらは2002年(平成14年)に千葉県の有形民俗文化財に指定されました。これらの面は、地獄と菩薩の世界観を伝える重要な遺産です。
広済寺の魅力
本堂と山門
広済寺の山門は、仁王像(阿形・吽形)が安置された立派な造りです。訪れる人々を荘厳な雰囲気で迎えます。
鬼来迎保存庫
鬼来迎に関する資料や仮面は、広済寺の保存庫に保管されています。地獄の様相を描いた伝統芸能を後世に伝える貴重な施設です。
行事と信仰
お盆の鬼来迎
「鬼来迎」は毎年8月16日に行われ、地元民によって演じられます。地獄の恐ろしさと菩薩の慈悲を感じるこの仏教劇は、約1時間30分にわたり観客を魅了します。
この行事では、御朱印にも「鬼来迎」の文字が記され、訪れた参拝者に特別な体験を提供します。
ご利益と信仰
ご本尊の地蔵菩薩は、信者の苦しみを代わりに引き受けるとされ、無病息災や五穀豊穣などのご利益があると信じられています。
交通アクセス
広済寺へのアクセスは以下の通りです。
- 徒歩: JR東日本総武本線横芝駅より徒歩約45分。
まとめ
広済寺は、鎌倉時代から続く長い歴史と日本唯一の民俗芸能「鬼来迎」で知られる貴重な寺院です。地元の信仰や文化を体感し、仏教の教えに触れる機会として、ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。