一宮城の概要
自然を活かした築城
一宮城は、標高約30メートルの台地上に位置し、自然の地形を活かして築かれた平山城(ひらやまじろ)です。築城時期は南北朝時代から16世紀とされていますが、正確な時期は定かではありません。
里見氏と正木氏の拠点
戦国時代の天文年間(1532年~1555年)、一宮城は安房里見氏に仕えていた正木氏が支配していました。この城は度重なる合戦の舞台となり、特に第二次国府台合戦後、正木氏が分裂した際には、北条氏と内通した正木時忠が里見方の正木憲時が支配していた一宮城を攻略し、嫡男の正木時通を配置しました。
戦国時代の一宮城
永禄年間(1558年~1570年)には、北条氏、里見氏、そして分裂した正木氏が一宮城を巡って戦いました。この戦いにより、城下にあった玉前神社(上総国一宮)の宮司が社宝を隣国の下総国に疎開させるという事態も発生したと伝えられています。
里見氏による再支配
正木時忠とその息子が再び里見氏に復帰すると、一宮城も再び正木憲時の支配下に置かれました。しかし、のちに正木憲時は里見義頼によって討伐され、以後、一宮城は里見氏が直接城代を派遣して支配したとされています。
小田原征伐と徳川氏
小田原征伐の際、一宮城を支配していた鶴見氏は徳川家康の家臣である本多忠勝による攻撃を受け、鶴見氏は没落しました。その後、徳川氏の領地となり、文禄年間(1593年~1596年)には廃城となったとされています。
江戸時代の一宮陣屋
一宮城跡に建設された一宮陣屋
一宮は、寛政8年(1796年)に伊勢八田藩の飛び領地とされました。さらに、文政9年(1826年)、八田藩主加納久儔が、江戸湾の防備強化を目的にこの地に藩庁を移転し、一宮城跡に陣屋を設けました。一宮陣屋として整備された城跡は、以後、明治時代の廃藩置県まで一宮藩の行政の中心地として活用されました。
武道館建設に伴う発掘調査
1983年(昭和58年)から翌年にかけて、一宮城跡の一部で発掘調査が実施され、中国製陶器や武器類などが発見されました。これらの出土品は一宮町の有形文化財に指定されています。
観光情報
アクセス
鉄道:JR外房線「上総一ノ宮駅」から徒歩10分
車:首都圏中央連絡自動車道(圏央道)茂原長南ICからアクセス可能
周辺スポット
一宮城の周辺には、歴史的な神社である「玉前神社」や観光名所が点在しています。一宮城とあわせて、長生郡一宮町の自然や文化を堪能する観光ルートが楽しめます。
見どころ
一宮城の跡地には、かつての城壁や土塁の跡があり、歴史を感じさせる景観が残されています。また、城跡の一部は公園として整備されており、四季折々の風景を楽しむことができます。
城跡の歴史を感じる
一宮城跡は、観光客にとっても地元の人々にとっても、歴史を感じさせる貴重な場所です。自然と共存したかつての城の面影を感じながら、周辺の観光地を巡るのもおすすめです。