無量寺の歴史
創建の経緯
無量寺の起源は昌泰元年(898年)にさかのぼります。上総介に任じられた高望王が上総国武射郡に政務所を置き、延喜2年(902年)5月、国家安穏を祈願するために建立した「来照院」が前身とされています。その後、寿永2年(1183年)には源頼朝が阿弥陀堂を造営し、寺名を「来照院月輪寺」と改めました。また、今井四郎兼氏の手による大日如来像を鎌倉から移し、「如来堂」を建立したとも伝えられています。
戦乱による焼失と再建
無量寺は戦国時代の戦乱により二度の大きな被害を受けました。一つは天正14年(1586年)5月、北条氏の家臣坂田城主・井田胤徳が里見氏の侵攻を撃退した栗山川合戦の際、もう一つは天正18年(1590年)3月の豊臣秀吉による小田原征伐に伴う蓮沼合戦です。これらの戦乱により、近くにあった四社神社とともに灰燼に帰しました。
その後、元和2年(1616年)8月12日に現在の地に移され、「正光院無量寺」として再建されました。この歴史を経て、今日までその姿を保っています。
無量寺六地蔵
無量寺の山門近くには、6体の地蔵尊「無量寺六地蔵」が静かに佇んでいます。これらは元禄11年(1698年)に近隣の網主が寄進したもので、古くから女人の信仰を集めてきたと伝えられています。この六地蔵は、訪れる人々に穏やかな心の安らぎをもたらしています。
屋形無量寺周辺の文化財
横芝光町に点在する石仏
横芝光町内には至る所に石仏が見られます。例えば、お墓の入り口にはお地蔵様が立ち、路傍の辻々には庚申塔や馬頭観音、小さな水路の脇には十九夜塔など、地域の歴史と信仰の深さを物語る石仏がひっそりと佇んでいます。
特に屋形無量寺入り口の六地蔵と、中台大宮神社前の庚申塔は、横芝光町の指定文化財に指定されています。これらの石仏は地域の人々に大切にされ、現在もその信仰が続いています。
アクセス情報
無量寺へのアクセスは以下の通りです。
- 最寄駅: JR東日本総武本線横芝駅
- バス利用: 千葉交通バス蓮沼循環「上堺四ツ角」停留所下車、徒歩5分
まとめ
無量寺は、千年を超える歴史を持つ由緒ある寺院であり、地域の信仰や文化を感じられる場所です。歴史的な背景や戦乱を経て復興したその姿は、訪れる人々に感動を与えます。また、六地蔵や周辺の石仏など、地域に根付いた信仰の象徴が見どころとなっています。
自然豊かな横芝光町で歴史の息吹に触れる旅を楽しみながら、無量寺を訪れてみてはいかがでしょうか。