位置と地形
高ノ島は館山港に面し、沖ノ島のすぐ東側に位置します。この地域は1923年(大正12年)の関東大震災による地殻隆起によって本土と繋がる干潟が形成されました。震災後、『館山市史』によると、高ノ島で約7尺(約2.1メートル)、沖ノ島で約8尺(約2.4メートル)、館山沿岸部で約6尺(約1.8メートル)の隆起が記録されています。
歴史的背景
震災後に形成された浅瀬に注目した海軍航空隊は、1930年(昭和5年)に飛行場の建設を目的として周辺を埋め立てました。その結果、高ノ島は完全に地続きとなり、現在では海上自衛隊館山航空基地の一部として使用されています。
高ノ島の神社
弁財天の由来と歴史
高ノ島の鎮守である弁財天は、平安時代中期の1092年に安房国の国司であった源親元の勧進により創建されました。島の信仰の中心として、五穀豊穣や海上安全、漁業の豊漁、商業繁栄を祈願する場所として長い歴史を持っています。
大祭
弁財天の大祭は毎年5月14日に執り行われます。第二次世界大戦中に一時中断しましたが、昭和24年に復活し、以降毎年続けられています。昭和30年代には、14日に汐祭り、15日には御開帳が行われるなど、盛大な行事が行われていました。
現在の管理
弁財天の管理は、館山市沼にある浄土宗の寺院「栄洗寺」に委ねられています。歴史あるこの神社は、地域の人々の信仰を集め続けています。
名称標記の由来
「高ノ島」と「鷹ノ島」
高ノ島の名称には、「高ノ島」と「鷹ノ島」の2種類の表記が使われています。当初は「高ノ島」が用いられていましたが、江戸時代以降、「鷹ノ島」の表記が普及し、一般的に多く使われるようになりました。
しかし、国土地理院の地形図や行政資料では引き続き「高ノ島」が公式名称として使用されています。また、島にある弁財天の石碑には「鷹之島辯天閣」と刻まれており、お札にも同様の表記が見られます。
戦争遺跡
館山海軍航空隊水上班滑走台跡
高ノ島には戦争遺跡として、館山海軍航空隊水上班滑走台跡が残されています。この場所は、第二次世界大戦中に重要な拠点として使用されました。日本が降伏した1945年(昭和20年)9月3日には、米軍がこの地から上陸し、4日間にわたって直接軍政を行った歴史があります。
観光スポットとしての高ノ島
自然と歴史を楽しむ
高ノ島は、その歴史的背景や神社、戦争遺跡を訪れる観光客にとって魅力的なスポットです。館山港周辺の風光明媚な景色を楽しみながら、島の文化や歴史に触れることができます。
アクセス情報
高ノ島へは、館山港から徒歩または自転車でアクセス可能です。周辺には駐車場や観光施設も整備されており、訪問者にとって便利な立地となっています。
まとめ
高ノ島は、千葉県館山市の歴史と自然が融合した特別な場所です。関東大震災による地形の変化や、海軍航空隊による埋め立て、弁財天の信仰など、島にはさまざまな物語が息づいています。観光地としても見どころが多く、訪れる人々に新たな発見と感動を提供してくれるでしょう。