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安房神社

(あわ じんじゃ)

安房神社は、千葉県館山市大神宮に鎮座する格式高い神社です。古代から続く由緒ある社で、式内社(名神大社)、安房国一宮として知られています。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社に指定されています。

所在地と背景

安房神社は房総半島最南端部に位置し、吾谷山(あづちやま)の山麓に鎮座しています。この地には古代から多くの伝承があり、神話時代に阿波地方(現在の徳島県)から渡来した忌部氏(いんべうじ)によって創建されたとされています。「安房」という国名や社名も、この忌部氏の移住・開拓に由来するといわれています。

安房国と安房神社の重要性

古代の安房国は、アワビの貢進地として朝廷にとって非常に重要な地域でした。このため、安房神社も古くから重んじられ、歴史を通じて崇敬を集めてきました。特に、安房国が全国でも数少ない神郡(特定の神社に属する郡)に指定されていたことや、宮中の大膳職にも「御食津神」として祀られていたことが注目されます。

創建と伝承

神話時代、阿波地方(現在の徳島県)から渡来した忌部氏(いんべうじ、斎部氏)がこの地に神社を創建しました。「安房」の地名は、阿波忌部の移住と開拓に由来すると伝えられています。

安房神社の特徴

古代における安房神社の役割

古代、安房国はアワビの貢進地として朝廷から重要視されていました。その中心的な役割を担ったのが安房神社です。特に、以下の点が注目されます。

これらの背景から、安房神社は古代から一貫して重要な位置づけを保ってきました。

洞窟遺跡と文化財

境内では、抜歯習俗を示す人骨を含む洞窟遺跡が発見されました。この遺跡は現在埋没していますが、千葉県指定史跡となっています。また、八稜鏡や円鏡などの文化財も伝えられており、阿波忌部の開拓にちなむ祭礼が現代まで続けられています。

関連神社

相殿神の一柱である天比理刀咩命は、近隣の洲崎神社(館山市洲崎)や洲宮神社(館山市洲宮)でも祀られており、これらの神社は安房神社と深いつながりがあります。

千葉県南部の地理的特性

この神社は房総半島最南端に位置する吾谷山(あづちやま)の山麓に鎮座しています。桜花祭時の参道や一の鳥居など、四季折々の風景とともに訪れる人々を迎えます。

祭神について

本宮(上の宮)の祭神

安房神社の祭神は以下の7柱です。

主祭神

天太玉命(あめのふとだまのみこと) - 忌部氏(斎部氏)の祖神

相殿神

天比理刀咩命(あめのひりとめのみこと) - 后神

忌部五部神

后神天比理乃咩命神社との関係

『延喜式』神名帳には「安房坐神社」とともに、「后神天比理乃咩命神社」の記載があります。現在では、この后神を祀る神社が洲崎神社や洲宮神社とされますが、安房神社でも併祀されています。

歴史資料に基づく安房神社の伝承

『古語拾遺』・『先代旧事本紀』の記述

忌部氏の歴史書である『古語拾遺』や『先代旧事本紀』には、忌部氏の祖先が阿波地方から移住し、安房神社を建立したと記されています。この説話は、神話的要素を含む一方で、忌部氏の祭祀と密接に関連しています。

膳氏と高橋氏の関与

膳氏(かしわでうじ)や高橋氏が安房神社の祭祀に深く関与していたことも文献から明らかです。これらの氏族が天皇への貢進や神郡の統治を担ったことが記録されています。

安房神社の重要性

八神郡の一つとしての位置づけ

安房神社は、全国8つの神郡(八神郡)の一つに指定されました。この神郡制度は、神社を中心とした地域の特別な地位を示しています。

安房国造の役割

安房神社の管理や祭祀を担ったのは安房国造であり、この国造一族は朝廷からも信任されていました。安房神社が朝廷にとって重要な拠点であったことがうかがえます。

歴史

創建

社伝によると、神武天皇元年に天富命(「下の宮」の祭神)が阿波地方(現在の徳島県)から安房地方に渡り、この地を開拓。その後、布良浜の男神山・女神山に祖神である天太玉命・天比理刀咩命を祀ったことが創祀の始まりとされています。その後、養老元年(717年)に現在地である吾谷山山麓へ遷座され、天富命と天忍日命が「下の宮」に祀られました。

ただし、忌部氏による開拓を裏付ける確実な史料はなく、これらの伝承の史実性は明確ではありません。一方で、境内からは古墳時代の高坏が出土しており、古代の祭祀地としての存在がうかがえます。また、縄文時代から弥生時代にかけて墓地として使用された洞窟遺跡も見つかっています。

概史

安房神社は古くから朝廷に重要視され、食膳(特にアワビ)の供給地としても知られていました。国史に記載される神階の昇進記録や、『延喜式』神名帳に名神大社として登録されていることからも、その重要性がわかります。

中世の動向

治承4年(1180年)には源頼朝が祈祷を命じ、社領の寄進が行われた記録があります。鎌倉時代には鎌倉幕府の支援を受け、社殿の修復や造営が行われました。その後も、室町時代や江戸時代を通じて修復と整備が進められています。

近代以降

明治4年(1871年)には近代社格制度で最高位の官幣大社に列せられました。戦後、神社本庁の別表神社に登録され、平成21年(2009年)には本殿・拝殿の大規模修造が実施されています。

神階の変遷

境内

社殿

現在の本殿は明治14年(1881年)に造営され、神明造の建築様式を採用しています。平成21年(2009年)に大規模な修造が行われました。また、拝殿は昭和52年(1977年)に鉄筋コンクリート構造で建設されています。

洞窟遺跡と忌部塚

昭和7年(1932年)に発見された「安房神社洞窟遺跡」は、弥生時代の人骨や装飾品が出土し、千葉県指定史跡となっています。現在は埋め戻されていますが、一部の人骨は宮ノ谷に埋葬され「忌部塚」として祀られています。

摂末社

摂社:下の宮

祭神として天富命と天忍日命が祀られています。養老元年(717年)の創祀とされます。

末社

主な祭事

有明祭

有明祭は1月4日に行われる祭事です。 古くは12月26日の神狩祭から10日間にわたり神職や総代が神社に籠もり、祭の終了で籠もり明けを迎えました。 現在でも舌餅などの特殊神饌が供えられる、格式ある祭事です。

置炭神事

1月14日の夕刻に行われる置炭神事では、門松の松材で火を起こし粥を炊きます。 燃え残った12本の松材の燃え具合から、その年の天候を占うという神事です。

粥占神事

同じく1月14日夕刻に行われる粥占神事は、粥に葦筒を沈め、翌日それを取り出して筒中の粥の入り具合で作物の豊凶を占います。 地域の農業に深く結びついた行事です。

例祭

毎年8月10日に行われる例祭は、「浜降祭」や「磯出の神事」とも呼ばれる安房神社で最も重要な祭りです。 天富命が各地の忌部を集めて参拝した故事に由来します。

国司祭

9月中旬に行われる国司祭は、安房国総社である鶴谷八幡宮の例祭の一環として実施されます。 2日目に八幡宮の安房神社遥拝殿で神事が行われる伝統ある祭事です。

神狩祭

12月26日に行われる神狩祭は、天富命による害獣狩猟への感謝を表す祭りです。 獣の舌を象徴する舌餅などが供えられ、地域の清浄を願う神事とされています。

文化財

安房神社には多くの文化財があり、その歴史や地域との結びつきを深く感じられます。

千葉県指定文化財

安房神社洞窟遺跡は、1967年に指定された千葉県指定史跡です。 縄文時代から弥生時代にかけての人骨や遺物が出土した遺跡で、神社の古代の歴史を物語っています。

館山市指定文化財

神社には市指定の文化財も多くあります。例えば、鎌倉時代や南北朝時代に作られた八稜鏡や円鏡、 古墳時代の祭祀に使われたとされる土器の高坏が保存されています。 また、御狩神事で使用される燧筐や神饌用の木椀も指定文化財となっています。

現代の安房神社

観光スポットとしての魅力

安房神社は、歴史的価値だけでなく、房総半島の自然を感じられる観光スポットとしても人気があります。特に桜花祭の時期には参道が美しい桜で彩られ、多くの参拝者で賑わいます。

アクセス情報

安房神社は、JR内房線の館山駅からバスで約20分、「安房神社前」バス停で下車後徒歩10分の場所にあります。 高速バスでも東京や千葉からアクセス可能で、観光に訪れやすい立地です。

周辺の見どころ

神社の周辺には、江戸時代に起こった農民一揆の犠牲者を供養した「大神宮義民七人様の供養碑」などの歴史的な見どころも点在しています。

まとめ

安房神社は、古代から続く豊かな歴史と文化的遺産を持つ神社です。地域の発展や国家の安寧に寄与してきたその姿は、現在も多くの人々に親しまれています。神社の歴史や境内の見どころを巡ることで、古代からの日本の文化と信仰に触れることができます。

Information

名称
安房神社
(あわ じんじゃ)

館山・南房総

千葉県