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久留里城

(くるりじょう)

久留里城は、千葉県君津市久留里付近にかつて存在した日本の城で、室町時代から江戸時代にかけて多くの歴史を刻んできました。その別名「雨城」「霧降城」「浦田城」でも知られ、現在は城跡が観光スポットとして整備されています。

起源と別名

久留里城は、室町時代に上総武田氏の武田信長によって築かれた山城(古久留里城)が始まりです。その後、真里谷氏、里見氏といった有力者たちがこの城を拠点とし、戦国時代には北条氏に対抗する重要な軍事拠点となりました。また、この地では雨がよく降ることから「雨城」とも呼ばれています。

城の役割と歴史的意義

戦国時代には里見氏によって再建され、新たな久留里城が築かれました。江戸時代には久留里藩の藩庁として使用され、特に徳川家康の関東入封後は松平氏や土屋氏、黒田氏が治めました。藩主たちは城下町の整備や治水事業に尽力し、地域の発展に寄与しました。

久留里城の構造

郭群とその遺構

久留里城は以下の4つの郭群で構成されていました。

これらの中で、江戸時代以降は近世城郭部と近世居館部のみが維持されましたが、他の地区も里見氏時代には利用されていたと考えられています。

遺構の保存状態

山上部分には堀切や削り残しの土塁、中世の里見氏時代の遺構が良好に保存されています。また、天守台の跡や土塁の一部など、江戸時代の構造も確認することができます。

沿革

室町時代の創設

康正2年(1456年)、武田信長が上総国の守護代に任じられ、久留里城を築きました。その後、武田氏の弱体化により里見氏がこの城を掌握しました。

戦国時代の激動

1535年、里見義堯が久留里城を本拠地とし、新たな城郭を築きました。しかし、1564年に北条氏による侵攻を受け一時的に失陥し、再び里見氏が奪還するという激動の時代を迎えます。

江戸時代の久留里藩

1590年、小田原征伐後に徳川家康が関東に入封すると、松平(大須賀)忠政が久留里城主となり、城下町の整備が進められました。その後、藩主は幾度か交代し、最終的には黒田氏が明治維新まで城を治めました。

明治以降の変遷

1872年の廃城令により久留里城は廃止されました。その後、1955年に跡地が「城山公園」として整備され、1979年には模擬天守が再建されました。この模擬天守は展望台として利用されています。

観光情報

見どころ

アクセス情報

最寄駅

JR久留里線「久留里駅」から徒歩またはバスでアクセスできます。

最寄バス停

「久留里城三の丸跡」バス停が最寄りです。木更津方面や東京方面からの高速バスも利用できます。

訪問の際の注意事項

まとめ

久留里城は、室町時代から江戸時代にかけての歴史を物語る重要な遺構です。現在は観光地として整備され、自然の中で歴史を学びながらゆったりとした時間を過ごすことができます。ぜひ一度訪れて、その魅力を実感してみてください。

Information

名称
久留里城
(くるりじょう)

木更津・君津

千葉県