伝説と童謡
この寺には、日本三大狸伝説の一つである『狸囃子』が伝わっています。この伝説をもとに作詞された童謡『証城寺の狸囃子』は、野口雨情の詞と中山晋平の曲で広く親しまれています。
境内には「狸ばやし童謡記念碑」などの見どころがあり、毎年秋には狸の供養として「狸まつり」が開催されます。
名前の表記について
童謡のタイトルは「証城寺」と表記されていますが、これは住所表記としては正確ではありません。本来は「證誠寺」と書き、近年では「證」の新字体である「証」が使われることもあります。
證誠寺の歴史
江戸時代の創建
證誠寺は江戸時代初期、17世紀中頃に創建されました。初代住職の了念は、弟と共に鎌倉から陸路を経てこの地に至り、矢那川河口にこの地域初の浄土真宗のお寺を建てました。
当時の木更津は徳川幕府の庇護のもと、房総半島最大の港町として発展し、多くの商人が集まっていました。こうした商人たちが寺の門徒となり、本堂後方には彼らの墓が建てられています。これらの墓石には時期や出身地が刻まれており、現在では貴重な歴史資料とされています。
地域とのつながり
江戸時代、證誠寺は寺子屋としても機能し、大勢の大人や子どもが学びに訪れていました。住職を偲んで建てられた筆小塚が、現在も境内に残っています。また、五昼夜連続で行われた雅楽演奏による法要など、地域の人々にとって心のより所となる存在でした。
證誠寺の狸伝説
狸囃子伝説
證誠寺には創建当初から「狸囃子伝説」が語り継がれています。秋の夜、萩や薄が咲き乱れる境内で、住職と大小百匹の狸たちが月明かりの下で囃子を奏で、唄い踊るという幻想的な物語です。
この伝説をもとに、野口雨情が詩を作り、中山晋平が曲をつけて『証城寺の狸囃子』が誕生しました。
伝説のあらすじ
かつて證誠寺周辺は「鈴森」と呼ばれる鬱蒼とした竹やぶで、物怪が出ると噂されていました。新しい住職が赴任すると、狸たちが化けて驚かせようとしましたが、住職は驚きません。
そこで狸たちは囃子合戦を挑みますが、和尚も三味線で応じ、数晩にわたり唄い踊る夜が続きました。ある晩、親分狸が腹を破って死んでしまい、不憫に思った住職が供養をしたと言われています。
證誠寺の見どころ
狸塚と童謡記念碑
境内には狸囃子伝説にまつわる「狸塚」や「童謡記念碑」が設置されています。これらは、證誠寺と狸伝説を象徴する貴重なスポットです。
狸まつり
毎年10月中旬に開催される「狸まつり」では、地元の小学生が狸伝説を模した踊りを披露します。このイベントは地域の人々に愛され、歴史と伝説を後世に伝える大切な行事となっています。
所在地とアクセス
住所: 千葉県木更津市富士見2-9-30
アクセス: JR内房線「木更津駅」西口から徒歩10分
矢那川のほとりに位置し、近くには證誠寺橋が架かっています。
『証城寺の狸囃子』について
童謡の誕生
『証城寺の狸囃子』は、詩人・野口雨情が證誠寺の狸伝説を題材に作詞し、中山晋平が曲をつけた童謡です。1925年に児童雑誌『金の星』に掲載され、広く知られるようになりました。
歌詞と特徴
この童謡は「證證證城寺、證城寺の庭は~」という軽快でリズミカルな歌詞が特徴です。ひらがなを多用した親しみやすい表現が子どもたちに人気です。
歌詞の一部
證證證城寺
證城寺の庭は
ツツ月夜だ
皆出て來い來い來い
己等の友達ァ
ぽんぽこぽんのぽん
現在でもこの童謡は親しまれ、證誠寺と狸伝説の象徴として愛されています。