概要
白山神社の境内には千葉県指定史跡である「白山神社古墳」があり、神社そのものの歴史的意義だけでなく、古代史の重要な遺産としても評価されています。
祭神
白山神社には、以下の神々が祀られています:
- 大友皇子(弘文天皇)
- 菊理比売神
歴史
創建の背景
社伝によれば、白山神社は壬申の乱で敗れた大友皇子(弘文天皇)がこの地に逃れ、自刃した場所に建てられたと伝えられています。この地には、皇子が暮らしたとされる「小川宮」の跡も残っており、天武天皇13年(684年)に勅使が下向して社殿が造営されました。
「田原神」としての歴史
房総半島では大友皇子にまつわる伝説が広く残っています。田原神社という名称は、古代氏族である多氏がこの地に住み着いたことに由来し、「田原(タタラ)」という地名は製鉄に関連する言葉であるという説もあります。
江戸時代以降の変遷
江戸時代中期の神祇伯・雅寿王が「田原神社」という額を掲げるなど、田原神としての歴史が長く続きましたが、明治維新後に社名を「白山神社」と改め、明治6年(1873年)に郷社に列しました。
白山神社古墳
白山神社古墳は、神社の背後にある前方後円墳で、千葉県指定史跡に登録されています。
概要
白山神社古墳は、小櫃川中流域東岸に位置し、4世紀後半頃に築造されたと考えられています。一帯には17基の円墳が分布し、白山神社古墳群を形成しています。古墳の全長は約89メートルで、小櫃川流域の大型古墳として高い評価を受けています。
墳丘の規模
- 墳丘長:89メートル
- 後円部:直径52メートル、高さ10メートル
- 前方部:長さ38メートル、幅38メートル、高さ7メートル
文化財としての意義
1981年(昭和56年)に千葉県指定史跡となったこの古墳は、房総半島の古代史を探るうえで重要な資料です。また、神社には海獣葡萄鏡が伝えられており、考古学的にも興味深い遺物が残されています。
弘文天皇陵治定運動
白山神社古墳を弘文天皇陵として認定しようとする運動が、明治時代に旧久留里藩士の森勝蔵を中心に展開されました。この運動は、地元住民や学者を巻き込んで行われ、宮内省への建言書提出など多くの努力がなされましたが、最終的には認定には至りませんでした。
境内の見どころ
参道と随身門
参道には立派な随身門があり、訪れる人々を迎え入れます。
水天宮と鳥居
境内には水天宮があり、静かな雰囲気の中で参拝できます。神社を象徴する鳥居も歴史を感じさせる趣があります。
文化財
- 白山神社古墳:千葉県指定史跡(1981年指定)
交通アクセス
白山神社へのアクセス情報は以下の通りです:
- 最寄駅:JR東日本久留里線「俵田駅」から徒歩約15分
まとめ
白山神社は、古代の歴史や伝説を今に伝える貴重な場所です。白山神社古墳と合わせて訪れることで、房総半島の古代史をより深く理解することができます。千葉県君津市を訪れる際には、ぜひ足を運んでみてください。