水戸佐倉道
水戸佐倉道の概要
水戸佐倉道(みとさくらどう)は、江戸幕府により「佐倉街道」として正式に命名された道で、水戸街道の新宿追分から佐倉城に至る脇街道です。この道は、佐倉藩の藩主や江戸からの参勤交代のルートとして使われただけでなく、一般庶民が成田山新勝寺への参拝のためにも頻繁に利用されました。
文化年間(1804~1818年)頃からは、成田山新勝寺の信仰が広まり、「成田道」や「成田街道」という愛称で呼ばれるようになり、成田参詣者が増加しました。現在では、千葉県の道路愛称としても「成田街道」という名称が使われていますが、これも元はこの「佐倉街道」の一部です。
水戸佐倉道の経路と特徴
この街道は、東京都内では水戸街道の新宿追分を起点に、中川の逆井の渡しを通って佐倉城に至ります。現在では、この経路の一部が京成金町線や北総鉄道、柴又街道などと交差しており、かつての街道の名残を感じることができます。
千葉県内に入ると、現在の国道14号や国道296号とほぼ同じ道筋をたどります。主要な宿場としては、市川宿、船橋宿、大和田宿(八千代市)、臼井宿(佐倉市)などがありました。また、臼井宿を過ぎると、佐倉城下に到着します。
水戸佐倉道の関連街道
佐倉街道の延長線上には、成田山新勝寺や九十九里浜、さらに香取市佐原などへ通じるいくつかの街道が続いています。酒々井町では、成田道が分岐し、成田参詣への道が続いています。これらの道も、佐倉街道と密接に関連していた歴史的ルートです。
途中の市町村
- 東京都葛飾区
- 東京都江戸川区
- 千葉県市川市
- 千葉県船橋市
- 千葉県習志野市
- 千葉県八千代市
- 千葉県佐倉市
千葉佐倉道
千葉佐倉道の概要
千葉佐倉道(ちばさくらどう)は、千葉市中央区本町1丁目の広小路交差点から佐倉市神門交差点、さらに佐倉市海隣寺交差点までの区間を指します。この道は、中世に千葉氏が亥鼻城(現在の千葉市)と本佐倉城(現在の酒々井町)を結ぶために利用した古道がルーツとなっています。
江戸時代には、この道が佐倉藩によって整備され、佐倉城と寒川湊(現在の千葉港)を結ぶ重要な街道として使われました。このため、年貢米を寒川湊の米蔵まで運ぶ道として「南年貢道」とも呼ばれていました。また、成田山詣での参拝者が、千葉妙見宮や千葉寺を経由して成田山新勝寺に向かう際にも利用されたため、こちらも「成田道」や「成田千葉寺道」という愛称で呼ばれるようになりました。
千葉佐倉道の経路と特徴
千葉佐倉道は、現在の国道51号と千葉県道22号千葉八街横芝線の一部に該当します。この道は、中世からの重要な街道として使われ続け、江戸時代にさらに整備されました。千葉市内では、市街地を抜け、佐倉市に向かうルートとして機能しています。
途中の市町村
- 千葉市中央区
- 千葉市若葉区
- 四街道市
- 佐倉市
そのほかの佐倉街道
旧佐倉街道と千葉街道
水戸佐倉道が確立される前には、両国橋から荒川まで、現在の国道14号の南方を通る道が佐倉への主要ルートとして使われていました。荒川以東では、五分一通りや国道14号に沿って進む道筋があり、これも佐倉街道として使われていました。
水戸佐倉道が整備されると、この旧ルートは「元佐倉道」と呼ばれるようになり、明治時代には「千葉街道」と改称されました。現在でも、この旧道の一部は「旧千葉街道」として知られています。
臼井街道
千葉佐倉道の途中で分岐する道として、千葉県道64号千葉臼井印西線が存在します。この道は、四街道市の物井から右に分岐し、臼井宿に至るルートで、臼井城と亥鼻城を結ぶ中世の街道として発展しました。このため、江戸時代には「北年貢道」とも呼ばれました。
成田街道
成田街道の概要
成田街道(なりたかいどう)は、水戸街道の新宿(現在の東京都葛飾区)から分岐し、千葉県船橋市や佐倉市を経由して成田山新勝寺に至る道です。この街道は、江戸時代に確立され、成田山参詣の人々が利用した主要ルートとして知られています。
成田街道は、正式には佐倉街道の一部であり、水戸佐倉道とも呼ばれますが、成田山参詣者の増加により「成田街道」という名前が定着しました。現在では、千葉県道路愛称名としても「成田街道」が使われています。
途中の市町村
- 千葉県船橋市
- 千葉県八千代市
- 千葉県佐倉市
- 千葉県酒々井町
- 千葉県成田市
成田街道の宿場町
- 市川宿(市川市)
- 八幡宿(市川市)
- 船橋宿(船橋市)
- 大和田宿(八千代市)
- 臼井宿(佐倉市)
- 酒々井宿(酒々井町)
- 寺台宿(成田市)
このように、佐倉街道と成田街道は、江戸時代から現在に至るまで多くの人々に利用されてきた歴史的な道であり、それぞれの道には深い歴史と文化が刻まれています。これらの街道を歩くことで、江戸時代の旅の風情を感じることができるでしょう。