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本佐倉城

(もとさくらじょう)

本佐倉城は、千葉県佐倉市大佐倉と印旛郡酒々井町本佐倉にまたがる将門山に築かれた城です。この城は、室町時代後期から戦国時代にかけて千葉氏の本拠地として利用され、千葉県の歴史において重要な役割を果たしました。現在では、国の史跡に指定され、その遺構が多くの歴史ファンに注目されています。

本佐倉城の概要

文明年間(1469年-1486年)に築かれた本佐倉城は、国の史跡に指定されている名城の一つです。2017年には「続日本100名城」にも選定され、さらなる注目を集めています。城があった場所は、現在の佐倉市と酒々井町にまたがる丘陵地帯で、当時の軍事的な重要拠点として機能していました。

本佐倉城の歴史

千葉氏の台頭と本佐倉城の築城

室町時代後期、千葉氏宗家を倒して家督を奪った馬加氏(まくわりし)は、将軍足利義政の命により、東常縁に討たれ滅亡しました。その後、千葉氏の家督を継いだ千葉輔胤(すけたね)は、古河公方足利成氏と結び、下総国を平定しました。輔胤は、文明年間に従来の亥鼻城から、より内陸にある本佐倉城へと本拠地を移しました。この城の築城が千葉氏にとって新たな軍事的拠点となったのです。

太田道灌の支援と城の整備

太田道灌は、千葉輔胤を支援し、千葉氏の勢力を維持するために江戸城を築城しました。本佐倉城はその後、千葉輔胤の息子である千葉孝胤(たかたね)によって、さらに整備されました。『千学集』によれば、文明16年(1484年)に千葉孝胤が佐倉に城を移し、延徳2年(1490年)には城下の市立が実施され、本格的に城下町としての体制が整えられました。

千葉氏の本拠地としての本佐倉城

本佐倉城は、9代にわたって千葉氏の本拠地として機能しました。しかし、天正18年(1590年)、豊臣秀吉による小田原征伐の結果、千葉氏は改易され、城は徳川氏に接収されました。その後、城は破却され、一時的に佐倉藩の陣屋が設置されることになります。

徳川氏の時代と本佐倉城の廃城

慶長7年(1602年)には松平忠輝が本佐倉城に封じられましたが、わずかひと月余りで信濃国川中島に移封されました。慶長15年(1610年)、再び小笠原吉次と土井利勝が入城し、佐倉藩の藩庁が本佐倉城に置かれました。しかし、元和元年(1615年)、藩庁は佐倉城に移転し、さらに一国一城制が導入されたことで本佐倉城は廃城となりました。

本佐倉城の構造

内郭と外郭の構造

本佐倉城の城域は、内郭と外郭に分かれていました。内郭は、南方に谷が刻まれた半島状の丘陵上に位置し、三方を湿地帯に囲まれた堅固な構造を持っていました。一方で、外郭は、内郭から繋がる丘陵地を自然の地形と空堀で分断した広大な敷地を有しており、千葉氏が勢力を拡大した後には、家臣団の屋敷地として整備されたと考えられています。

史跡としての本佐倉城

国史跡に指定された本佐倉城跡

本佐倉城跡は、現在でも城の土塁や空堀などがほぼ完全な姿で遺されており、1998年に「本佐倉城跡」として国の史跡に指定されました。これは、千葉県内の城郭として初めての国の史跡指定であり、その歴史的価値が高く評価されています。

千葉県内の他の史跡との関連

本佐倉城跡以外にも、千葉県内では館山市の稲村城や南房総市の岡本城が国の史跡に指定されています。これらの城跡とともに、本佐倉城跡は地域の歴史を語る上で欠かせない存在です。

本佐倉城の魅力と現在

訪れる人々への魅力

本佐倉城は、現在もその遺構が残り、多くの歴史愛好家や観光客に親しまれています。丘陵地に位置する城跡からは、酒々井町や佐倉市の美しい景色を一望でき、歴史を感じながら散策することができます。また、地元のガイドツアーやイベントも定期的に開催されており、城の歴史や当時の千葉氏の生活について学ぶことができる機会が提供されています。

本佐倉城を巡る楽しみ

本佐倉城跡を訪れる際には、周辺の名所も一緒に楽しむことができます。特に、酒々井町の自然豊かな環境や佐倉市の歴史的なスポットを巡ると、地域の魅力を存分に味わうことができます。また、春には桜が咲き誇り、歴史的な風景と共に美しい花々を楽しむことができるため、多くの観光客が訪れます。

まとめ

本佐倉城は、千葉氏の本拠地としての歴史的な価値だけでなく、その美しい遺構と周囲の自然環境が訪れる人々に多くの魅力を提供しています。現在でも、その歴史を感じながら散策できる場所として、多くの人々に親しまれており、歴史的な観点だけでなく観光スポットとしても高い評価を得ています。千葉県を訪れる際には、ぜひ本佐倉城跡に足を運んでみてはいかがでしょうか。

Information

名称
本佐倉城
(もとさくらじょう)

成田・佐倉

千葉県