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麻賀多神社(成田市)

(まかた じんじゃ)

麻賀多神社は、千葉県成田市台方に位置する神社です。式内社であり、旧社格は郷社です。また、印旛郡市に18社ある「麻賀多十八社」の総本社として知られています。

麻賀多神社の概要

麻賀多神社は、成田市台方を中心に、地域の神々を祀る神社のひとつであり、古くから地元の人々に親しまれてきました。特に、印旛沼を中心とした一帯にある18の「麻賀多神社」の総本社として、多くの参拝者が訪れます。

所在地とアクセス

成田市台方にある麻賀多神社へのアクセスは、成田市内から車や公共交通機関を使って訪れることが可能です。最寄りの鉄道駅からも比較的近く、観光スポットとしても人気です。

麻賀多神社の歴史

創建の起源

社伝によると、麻賀多神社は景行天皇42年に創建されたとされています。東征中の日本建尊(やまとたけるのみこと)が当地を訪れ、杉の幹に鏡を掛け「この鏡をインバノクニタマオキツカガミとして崇めて祀れば、五穀豊穣になる」と語ったことが神社の起源です。

日本建尊の伝説

日本建尊が当地で祀った鏡は、現在の成田市船形に社殿を造営し、稚日霊命(わかひるめのみこと)を祀るための神体となりました。また、その際に杉の木の下から7つの玉が掘り出され、それが神体とされました。この神体は「真賀多真(勾玉)の大神」として、地域の信仰を集めました。

社名の由来

延喜式神名帳に記載された際、「真賀多真」という名前が三種の神器のひとつと同じ名称であることから、1字が削除され「真賀多神社」となりました。その後、この地域が麻の産地であったことから「麻賀多神社」と名を改めました。

境内の風景

社殿と神楽殿

麻賀多神社の境内には美しい社殿や神楽殿があり、参拝者を迎え入れています。特に、本殿裏には天日津久神社があり、古来より多くの信仰を集めてきました。

奥宮について

麻賀多神社の奥宮は、成田市船形手黒に位置し、「手黒社」とも呼ばれています。この場所は、麻賀多神社の起源とも関連が深く、地元の人々にとって重要な場所です。

御神木と文化財

麻賀多神社には、推古天皇の時代に植樹されたとされる大杉があり、その樹齢は約1400年に及びます。この大杉は、東日本で最も古い杉の一つとして、県指定天然記念物に指定されています。

文化財としての指定

以下の物件が文化財として指定されています。

麻賀多十八社とその広がり

「麻賀多神社」という名称を持つ神社は、印旛郡市内に18社存在しています。これらは、成田市に1社、佐倉市に11社、酒々井町に2社、富里市に2社、八千代市に1社と、印旛沼の周囲に広がっています。

佐倉市の麻賀多神社

佐倉市には麻賀多神社が多く存在しており、これらも成田市の麻賀多神社と同様に、地域の信仰の中心として機能しています。特に、佐倉市鏑木町の麻賀多神社や酒々井町の麻賀多神社も歴史が古く、観光スポットとして人気があります。

摂社・末社の紹介

摂社

麻賀多神社の摂社としては、天日津久神社や大権現社があり、それぞれの神社に特定の神々が祀られています。これらの神社も参拝者が訪れる場所として人気があります。

天日津久神社

天日津久神社は、本殿の後方に位置しており、麻賀多神社の一部として崇敬されています。古くからの信仰の対象として、地域の人々に親しまれています。

末社

麻賀多神社には、多くの末社が存在し、それぞれ異なる神々が祀られています。特に、祓戸社や古峯神社、三峯神社などが有名です。これらの末社も参拝者にとって重要な場所となっています。

まとめ

麻賀多神社は、成田市を中心に広がる古くからの信仰の拠点です。その歴史や文化財、摂社・末社など、見どころが多く、観光客にも人気のスポットです。地域の人々にとって、五穀豊穣や安寧を祈る重要な神社であり、今後もその歴史は大切に受け継がれていくことでしょう。

ぜひ、麻賀多神社を訪れて、その歴史と自然を感じてみてください。

Information

名称
麻賀多神社(成田市)
(まかた じんじゃ)

成田・佐倉

千葉県