神社の概要
埴生神社は、成田市郷部に位置する神社で、成田市並木町にも同名の「三ノ宮埴生神社」が存在しますが、総本社は郷部にあります。祀られているのは、土を司る神である埴山姫命(はにやまひめのみこと)であり、神社の御霊代(ごれいしろ)は土師器であることが知られています。
埴山姫命と土師器
埴山姫命は、日本神話に登場する伊奘冉命(いざなみのみこと)の子であり、土を司る女神です。この神を祀ることから、三ノ宮埴生神社の御霊代は土師器という土製の器であることが特徴的です。土師器は古代日本において非常に重要な役割を果たしたものであり、神社の歴史と密接に関連しています。
埴生神社の歴史
創建と平安時代前期
埴生神社の創建年代は不詳ですが、社伝によれば平安時代前期に創建されたと伝えられています。この地には、かつて大和朝廷系の土師部一族が住み、焼畑農耕を行いながら土師器を製作していました。また、周辺地域には、玉作部(たまつくりべ)や服部(はとり)といった職業集団が存在し、それぞれの集落で特定の産業に従事していたとされています。
各郷の氏神としての役割
当時、埴生神社は村の氏神として、土師部を含む多くの移住者を氏子とする役割を果たしていました。この地域には「一ノ宮埴生神社」「二ノ宮埴生神社」などがあり、各郷で神々が祀られていました。特に埴生郡という名前は、土器を作るための粘土を意味する「ハニワ」に由来すると言われ、郷部はかつてこの地域の中心地であった可能性があります。
現在の埴生神社
成田総鎮守としての役割
現在では、埴生神社は近隣の三十余りの神社を統括する総社的存在として知られており、成田総鎮守として地域の信仰の中心に位置しています。特に子育て、安産、初宮参り、七五三詣などの祈祷が行われ、成田の産土(うぶすな)様として地元の人々から篤く崇敬されています。
周辺の土師神社との関わり
郷部町内には、天穂日命(あめのほひのみこと)を祀る土師神社があり、南には成田ニュータウンの「加良部」の地名が残っています。また、かつての山方郷の地域には、成田市上福田や印旛郡栄町布太、茨城県稲敷郡河内町羽子騎にも土師神社が存在しており、これらの神社との関連性が見られます。
埴生神社の祭礼
例大祭とその歴史
埴生神社では、毎年7月の海の日の前2日に宵宮(よいみや)と例大祭が執り行われます。この祭りでは、偶数年に神輿が旧成田町を渡行する伝統があります。寛元2年(1244年)、この地を治めていた埴生次郎・平時常が神輿を寄進して以来、700年以上の歴史を誇る祭りです。
浜降りと根木名川
かつては「浜降り」という名の祭りで、九十九里浜の蓮沼(現・山武市)まで神輿行列が出かけ、10日間ほどかけて戻ってくるという大規模な行事が行われていました。現在は市内を流れる根木名川まで神輿が下り、市内を巡る形で行われています。
あさがお・ほおずき市と境内の賑わい
近年では、祭礼の際に境内で「あさがお・ほおずき市」が同時開催され、宵宮では胡弓(こきゅう)の演奏や獅子舞などが披露され、地域の賑わいを見せています。これらの伝統的な催し物が地域の人々や観光客を魅了しています。
交通アクセス
最寄り駅からのアクセス
埴生神社へのアクセスは以下の通りです。
- JR成田線成田駅下車 徒歩約15分
- 京成電鉄京成線京成成田駅下車 徒歩約15分
埴生神社の現在の境内
かつて、埴生神社の境内は現在の旧千葉県道18号成田安食線(安食街道)の辺りまで広がっていました。街道沿いには大きな杉並木が立ち並んでいましたが、県道の拡張工事に伴い杉並木は伐採され、現在の境内となっています。また、神社前の県道には「西参道三の宮通り」という愛称が付けられています。
まとめ
埴生神社は、成田市における信仰の中心として、長い歴史と深い文化的な背景を持っています。地域の守護神としての役割を果たし、現代でも多くの人々に敬われる存在です。豊かな自然環境と共に、多くの歴史的なエピソードを抱えたこの神社は、観光客だけでなく地域住民にとっても大切な場所となっています。